ライブカジノにイカサマがないと考えられるいくつかの理由
「オンラインカジノではイカサマがあるのか?」という問題は、つねにオンラインカジノ利用者のあいだでの激論のマトとなっている。
とりわけ、バカラ、ブラックジャック、ポーカーなどのライブカジノは、ディーラー(人)が関わっていることも影響して「イカサマ」の議論が激化する傾向にある。
ライブカジノの「イカサマ論争」は、かなり不毛な論争でしかなく、「イカサマはあることにもできるし、ないともいえる」というような、なんともアイマイで無責任な結論だけが残されている現状がある。
俺自身は「オンラインカジノにはイカサマはない」という立場をとっているが、この立場だって、確実で正当な根拠があるわけではない。「考えたら、そうとしか思えんがね」レベルの主観である。
イカサマある派だって「そうとしか思えない!」レベルの主観で負けを認められていないだけだったりする。でも、本当にイカサマはあるのかもしれない。真相はやぶの中だ。
このくらいの前提を共有したうえで、今回は、それでもなお「ライブカジノでイカサマはありえるのか?」という問題について考えていきたい。
イカサマはオンラインカジノ側にメリットがない
俺個人の考えとしては、「イカサマをしたところでオンラインカジノ側にほとんどメリットがないから、ライブカジノにイカサマはないんじゃないか」という結論になる。
この考えにはもう一つ「オンラインカジノはイカサマをするまでもなく、それ以前に、オンラインカジノ利用者から金を巻きあげる勝利のシステムとして完成している」というのも付け加えたいところだ。
要するに「たくさんのプレイヤーが勝利を夢見て繰り返し遊んでくれるだけで黒字は確定」なのだから「イカサマはする必要がない」というのが、「イカサマない派」の俺の根拠ということになる。
オンラインカジノに限った話ではないが、ギャンブルというのは基本的には「胴元」が最初から、そして、最終的にも勝ち、利益を得るように作られている。
この「絶対に胴元が勝つ」という構造自体が「イカサマ」と言われたらそれまでだが、「胴元が勝つ」という不公平の上で、参加者たちギャンブラーは公平な勝負をさせられているという構図は理解しておいたほうがいいだろう。
オンラインカジノはとりわけこの「胴元勝利システム」が特化的強化型であるということもおさえておきたい。
少数の勝利者を作って夢を見せておいて、たまに負けたりもして、一方で多数の敗北者を作り出して、その敗北者たちの度重なる入金によって確実に利益を生む、ということで「すでにオンラインカジノは勝っている」から、「イカサマ」は不要だ。
「わざわざする必要がないこと」をすることには「メリット」がまったくない。
ライブカジノの控除率からイカサマ不要の根拠を考える
「絶対に黒字になるからイカサマは不要である」ということを考えていくにあたっては、「ライブカジノの控除率」を見て、そこからオンラインカジノの収益の構造を見るといいだろう。
控除率というのは、「一つの賭けに対してどれだけの手数料をとるか」という割合であり「ハウスエッジ」や「テラ銭」とも言われている。
重要なのは「利用者が賭ければ賭けるほど、手数料がとられていく」という「仕組み」にこそあって、「パーセンテージ」は信用してはいけない、というのが俺の考えだ。
俺はこの「控除率」ってのはだいぶアテにならないと考えているが、とりわけ「低いと当たりやすい」とか「高いと当たりにくい」とかがかなりマユツバだ。
むしろ「控除率が低いから当たりやすいはずだ」と思い込ませて、多数のプレイヤーに何度も繰り返し賭けを行わせて、低い控除率の手数料をかきあつめて利益を得ている、という風に見るのが「控除率の正しい見方」ではないだろうか。
ちなみに、ライブカジノの控除率は「ルーレットがおよそ3%~5%」「バカラがおよそ1%」「ブラックジャックがおよそ-2%~4%」「ライブポーカーがおよそ2%~6%」となっているから、控除率だけを見ると「かなり勝ちやすそう」に見える。
だが、ライブカジノで少しでも遊んだことがある人間なら、ライブカジノに「勝ちやすい」なんていう現実があるはずないことは明らかだろう。
「控除率が低いと勝ちやすい」という意見を信用して「勝てる」と信じて、繰り返しベットしては負け、大金を賭けて取り返そうとしてはトータルで負けというユーザーを多数確保して、オンラインカジノはどんどん潤沢になっていく。
まあ、この黒字の構造自体を「イカサマ」といえば、それは「イカサマ」かもしれないがな。
イカサマが発覚した場合はライセンスが剥奪される可能性がある
まず、そもそもオンラインカジノというのはライセンスを取得して運営するもので、「イカサマをした」という噂が広がり、監査が入った場合は、取得したライセンスが剥奪される可能性がある。
オンラインカジノにとって「ライセンスの有無」はプレイヤーを確保するための最重要案件の一つで、死守しなければならないものでもある。
「ライブカジノでイカサマをする」という選択肢は、この「死守しなければならないライセンス」を積極的に捨てることに等しいため、オンラインカジノにとってイカサマはデメリットのほうが大きい。
「ライセンス」は信頼の象徴だが、「あそこのライブカジノではイカサマが横行しているらしいぞ」という噂がプレイヤーに拡がるのもだいぶマズイ。なぜなら、「手数料」を喜んで払ってくれるユーザーが多数離れていく可能性があるからだ。
だから、オンラインカジノとしては、「イカサマ」と取られかねないことはなるべく排除して、「控除率が低くて勝ちやすい公平性のあるゲームでたくさん遊んでくださいね」という場を作るほうがメリットがある。
イカサマをするディーラーにもメリットがない
ライブカジノでイカサマ論争が起こるのは、ディーラーという「人」が存在するためでもあるが、このディーラー側の立場になった場合も「イカサマ」に何のメリットもないことがわかる。
オンラインカジノでは「オンラインカジノを運営する会社」と「オンラインカジノにゲームを提供している会社」が分かれている、ということを思い出さなければならない。
ライブカジノのディーラーというのは「オンラインカジノにライブカジノを提供している会社」に雇用されて働いている人間であり、「オンラインカジノを運営する会社」に雇用されている人間ではない。
つまり、オンラインカジノ側がディーラーに「イカサマしてよ」と頼んだところで、別会社の雇われ人でしかないディーラーからしたら、「オンラインカジノ会社の収益」と「ゲーム会社の被雇用者自分の収益」が別である以上、「自分が無職になるだけかもしれないのに、やる意味ないでしょ」ということになるのは明らかだ。
逆に、仮にディーラー側が率先して「イカサマ」をしているとしたら、オンラインカジノ会社側がたまったものではなく、別会社の一雇用人のせいで、とんだとばっちりを受けることにしかならない。
お互いの了解としては「まあ、双方の会社のイメージのためにもイカサマはしないように」というところで落ち着いているだろう。
もちろん、「バイトテロ」などが流行っている昨今なので、暴走ディーラーが個人的なテロルを決行して「イカサマ」が起こる、という可能性もゼロではないかもしれないが……。
リアルカジノのイカサマから考えるイカサマの有無
「イカサマ論争が起こる」ということは、オンラインカジノ以前からギャンブルには「本当にあったイカサマの歴史」があるということで、たとえばルーレットのような古い歴史を持つゲームで実際にあったとされるイカサマが、リアルカジノにおいても「イカサマの根拠」になることもある。
ルーレットの場合は、古典的には「磁石」を使って落ちる場所を操作する、という「イカサマ」が実例として出され、「ライブカジノのルーレットも磁石で球を操作しているのだ」というような話がよく出る。
こういった話には「不自然な動きをした球」の動画などが添えられておりある程度の信憑性もありそうに見える。
だが、俺としてはここでもまた「仮に磁石などで操作できるとして、それで落とす場所を変えたところで何の意味があるの?」としか思えない。
特にオンラインカジノのような世界中の人間がアクセスし、同時に大量のベットがあるような場所で、「誰かの利益」を阻止するためにイカサマをしてわざわざ球の方向を変えることには、現実味も意味も感じられない、というのが正直なところだ。
オンラインならではのイカサマの可能性について
「バカラ、ブラックジャック、ポーカーなどのカードを使ったゲームのイカサマとして、ARなどを駆使してカードの文字やマークを投影で書き換える、というようなオンラインならではのイカサマが可能なのでは?」という意見も散見されるが、これはほとんど妄想的である。
俺としては「オンラインカジノ業者」「ライブカジノ配信会社」「ディーラー」のそれぞれが、なんのメリットもないのにこのようなデジタル技術を使ったイカサマをするなんて馬鹿げたことは、ちょっと可能性を考えるのも難しいくらいだ。
「勝負に負けたこと」に理由を発生させ納得するには、このくらいの想像力が必要なのか、という驚きさえ感じるレベルだ。
仮にこれが本当だったとして、一回一回の勝負で映像を投影することを考えると「ミス」や「ズレ」も多そうだし、何より「映像に証拠が残りやすい=信用を失いやすい」という時点でリスクが大きすぎるだろう。
ライブカジノのイカサマに関するまとめ
- オンラインカジノにはイカサマをする理由がない
- むしろイカサマをすることにはデメリットしかない
- ハウスエッジで確実に稼ぐ構造自体がイカサマ的ではある
ライブカジノをめぐる「イカサマ論争」に対する俺個人の考察をまとめると、以上のようになる。
俺の立場が「イカサマない派」であるため、やや偏った記述になったかもしれない。
まあ、基本的にギャンブルなんて「勝てないものだ」ということを普段から冷静に考えていれば、イカサマ陰謀論に陥ることはないだろう。
「イカサマ論争」は「ある派」も「ない派」もどちらも等しく「ギャンブルに対するある種のロマン」に支えられた主張をしているだけであり、これといった確証もないために、当然ながらハッキリとした答えも出ない。
イカサマがあるとしたらそれは「実にギャンブルっぽいこと」だから、逆説的に「ギャンブルには夢がある」ということにもなるし、あるいは「ギャンブルには夢がない」といって去っていくための口実にもなる。
もしイカサマがないとしたら「正当な勝負で勝ちたいし勝てるかもしれない」というギャンブラーの「夢」が発生したり持続するが、そう信じることで破滅して「夢」に食い殺されることもある。
なんにせよ「イカサマ」という主題が、「ギャンブルの夢」を象徴していて興味深いということはいえるかもしれない。